隅 田 川 七 福 神 巡 り

平成廿一年一月七日

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坂東札所巡りで日光へ向かう特急電車にありました東武鉄道のパンフレットに、隅田川七福神巡りと浅草七福神巡りの記事が載っていました。
しかも松の内の一月七日が最終日とあって、札所巡りの翌日でしたが浅草へ出向きました。
隅田川七福神は、今から三十数年前に一度巡りましたが、今回巡っていても覚えはありませんでした。
  

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    桃色に変わっている神社やお寺さんなどをクリックしますと、詳しく見られます。   下に地図が貼ってありますので大きくしてご覧ください。  秩父・最上・西国・坂東札所巡りのtoppageへ
恵比寿神

 福の神を崇め、いっそう豊かに心楽しく生活できるよう祈念することは、
古くから人々の間に伝えられている心情です。
特に、恵比寿、大黒(國)、布袋尊、弁財天、福禄寿、寿老人(神)、毘沙門天と
七体の神仏聖人を組み合わせ、七福神として瑞祥の象徴となりましたのは、
室町時代以降のようです。
 隅田川七福神巡りのように、新春その年の幸福を願って
七福神を巡拝する信仰行事の形が出来上がったのは、
町人文化が深く社会に根を降ろした江戸時代の終わり頃で、舞台も江戸でした。

 隅田川七福神のある墨東の向島辺りは、江戸から日帰りのできる行楽地として、
四季を通じて多くの江戸町民が訪れた所です。
また、文人墨客と呼ばれる風流文雅の通人たちの中でも、
当時一流の亀田鵬斎、大窪詩仏、酒井抱一、太田南畝、村田春海、巻菱湖、石川雅望、
加藤千蔭などは、こよなくこの地を愛した人々でした。

 文化元年(1804)に百花園が開かれる際にも、園主佐原鞠塢(きくう)を授けて、
それらを多くの人たちが力をかしたものでした。
たちまち百花園は、文人墨客の集まる風雅な場所として有名になりました。

 百花園の園主佐原鞠塢は福禄寿の陶像を愛蔵しておりました。
ある初春の日、百花園で風流にひたっていた文人たちが誰ともなく、
その福禄寿にちなむ正月の楽しみごとはないものかという話になりました。
隅田村多聞寺の本尊は
毘沙門天、須崎村の長命寺に弁財天が祀られていることが分かると、
何とか七福神をそろえたいものと頭をひねりました。
詮索を重ねていくうちに、小梅村の三囲稲荷には
恵比寿大國の小祠がありました。
また、須崎村の弘福寺には黄檗禅に関係の深い
布袋和尚の木像を蔵することが判明しました。

残るは寿老人になりましたが、なかなか見つかりませんでした。
結局思案の挙句、百花園のある寺島村の鎮守白鬚明神 は、白い鬚のご老体のお姿でしょうから、

寿老人(神)
には打ってつけだと、いかにも江戸人らしい機知をはたらかせました。
ここにめでたく七福神がおそろいになりました。

                               「隅田川七福会」より

一 三囲神社
大 國 神
一 三囲神社
布 袋 尊
二 弘福寺
弁 財 天
三 長命寺
福禄寿尊
四 百花園
寿 老 神
五 白髭神社
毘沙門天
六 多聞寺



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